うつ病でgo!タイトル

プロフィール

まるぴよの人生 小学生編(後編)

まるぴよは小学校4年生になりました。3年生のときから引き続き関西の小学校に通っていましたが、突然まるぴよをとりまく環境が一変します。
クラス替えがあり、まるぴよは、運動もできて明るいクラスのリーダー的存在だったK君と急に仲良くなりました。実はK君とは3年生のときも同じクラスだったのですが、そのときのまるぴよはK君のことをただすごいなーと眺めているだけでした。友達どころか口をきいた回数も数えるほどだったと思います。そんな雲の上の存在だったK君と、2年続けて同じクラスになったというだけで、いきなり親友のような間柄になったのです。学校でも、帰ってからも常に一緒に遊んでました。
クラスのリーダーの親友というのはすごいポジションです。まるぴよが何もしていなくても、男女を問わず自然にK君とまるぴよの周りに人が集まってきます。友達も一気に増えたし、休み時間が待ちどおしくてたまらなくなりました。休み時間になると、みんなで校庭に出て鬼ごっこやドッジボールをして遊びました。学校が終わってからはK君の家に行ったり、外の公園で遊んだり、1日1日が短くてたまらないと思うほど遊びまくりました。もちろんいつでもK君が一緒です。まるぴよはとても幸せでした。この1年間が小学校時代で一番楽しかった時期だと思います。

この当時、まるぴよはグループ交際のようなことを経験します。
K君は運動神経がよく、人を笑わせるのが得意(関西なのでこれはかなり重要)で、しかもルックスもよかったので女の子にも人気でした。当然、K君の周りには彼目当ての女の子も集まってくるんですが、K君はストイックだったのか、恥ずかしかったのかわかりませんが、1対1で女の子と会うのを好みませんでした。しかし小学校4年生くらいだと、男子より女子のほうがませてきていろいろ知識もあります。誰が言い出したのか、女の子5人くらいのグループが、K君も含めた男子のグループと、グループ交際をしたいと言ってきたのです。K君もグループ同士なら、ということで了承しました。
K君のグループには当然まるぴよも入っています。結局、男子はまるぴよも含めた3人(もう1人は同じクラスでよく一緒に遊んでいたF君。この子もけっこう人気があった)、女子は5人という変則的なグループ交際が始まりました。交際といってもたまに外であって一緒に遊ぶくらいで、友達とたいして変わらないんですが、まるぴよは浮かれました。K君とF君が二枚目キャラなので、まるぴよはどうしても三枚目の役どころになってしまうのですが、それでも女の子と仲良くなれるということがすごくうれしく、まるぴよは頑張ってお調子者を演じました。
一緒にクリスマス会をやろうということになったときは、女の子の家にみんなで向かう道中、訳のわからない奇声を発して工事現場のおじさんに怒られてみたり、頭にかぶる三角帽子の中にクラッカー(パンッって鳴るほうです)を仕込んでいき、部屋でいきなりパンッってやってみんなを驚かせてみたり、過剰なほどにはしゃぐキャラになってました。最初はK君目当てだった女の子グループのなかからも、いつしか「まるぴよ君って面白いから好き」という声が聞こえるようになり、まるぴよは有頂天でした。毎日が楽しくてたまらず、それまで比較的成績のよかったまるぴよですが、この1年間だけは中の下くらいまで落ちました。楽しくて勉強してるヒマなんてなかったからです。
もう休み時間にウサギ小屋を眺める日々は終わったのです。

ところが、この幸せも長くは続きませんでした。5年生にあがるときに、またしても父親の仕事の関係で、四国の小学校に転校になったのです。そこではいじめられっ子に逆戻りでした。
当時、マンガのキン肉マンやテレビのワールドプロレスリングの絶頂期で、クラスの一部の男子のあいだではプロレスごっこがはやっていました。まるぴよは身体はそれなりに大きかったのですが、やや太っていて運動神経が鈍いうえに気も弱く、転校生ということもあり、プロレスの技の実験台やプロレスごっこのやられ役をよくやらされました。5年時の担任の男の先生は体育会系出身で、男は強くてなんぼ、みたいな考えなのか、まるぴよがやられている現場を見ても「ほどほどにしとけよ」というだけで止めてはくれず、まるぴよはやられるがままでした。親にも先生にも助けてもらえなかったまるぴよは、周囲に対してなんの期待もできないんだとより強く思うようになっていきました。

この思いはその後もずっとまるぴよを支配し続けています。大人になってからも、なにか困ったことがあっても誰にも相談せず、自分でなんとかしようとしてしまいます。自分ではどうしようもない問題に突き当たったときも、黙ってひたすら静かに耐え、時が解決してくれるのを待つだけです。それでも解決しない問題に直面したとき、まるぴよはうつ病になってしまいました。誰かに相談できていればまた違っていたのかもしれません。でも、まるぴよには誰かに相談するということができなかったのです。

もうひとつ、まるぴよにとって苦しい思い出があります。その頃はちょうどファミコンがはやりだしたころでもあり、クラスの中でもゲーム好きのグループというのができていて、まるぴよもそのグループの末端に属していました。あるとき、そのグループのリーダー格で家が近所だった子に、原因は忘れましたが「50円よこせ」と言われたのです。いわゆるカツアゲです。まるぴよは逆らうことができませんでした。逆らっていじめられるのもイヤだったし、そのグループから仲間はずれにされたら行くところがなかったからです。
当時のまるぴよ家はお小遣い制ではなく、必要なものがあるときに母親に言ってお金をもらっていました。当然、まるぴよに自由になるお金などなく、この50円を手に入れるには、母親からお金をもらうしかありません。そこでまるぴよは嘘をつきました
「○○君がおいしいアイスを教えてくれるから一緒に買いに行ってくる。だから50円ちょうだい。」
すると母親は意外なことを言いました。
「まるぴよにこうしてお友達ができて、一緒にアイスを買いに行くなんて成長したねえ。お母さんうれしいわ。」
まるぴよは心が苦しくなりました。こんなに喜んでくれている母親をだまして手に入れたお金を、まるぴよはこれからカツアゲされにいくのです。申しわけない気持ちと、でも話してもまたはぐらかされるんだろうなあというあきらめの気持ちが混ざった複雑な感情がわきあがってきて、まるぴよはそれを押し殺すために無表情でお金を受け取りました。
そのあとのことはあまり覚えていません。その50円はたぶん彼に渡したと思います。でももしかすると返してくれたのかもしれません。なぜなら、彼はそんなに悪いヤツではなく、お金をよこせと言ったのもそのときだけだったし、まるぴよにゲームを貸してくれたり、お菓子やジュースをおごってくれることもよくあったからです。そのときのことは彼の思い出としてではなく、母親の言葉に対する罪悪感として強くまるぴよの心に残っています。

6年生になるころには、あいかわらずいじめられてはいましたが、クラスが5年6年と持ち上がりだったこともあり、ゲーム好きのグループを中心に友達も増えてきて、そこそこましな学校生活を送れるようになっていました。
釣りが好きになり、家が近所の友達と週末になると近くの防波堤に釣りに行っていました。小魚をいっぱい釣って帰り、母親に空揚げにしてもらって食べてました。当時の夢は「日本中をめぐって釣りをしたい。いつかは小笠原諸島に行って超大物を釣りあげたい」。よく釣具のカタログをながめては、一番太いサオと一番大きなリールで、一番大きなクーラーからはみ出すくらいの大物を釣ることを夢見ていました。当時、遠足で行った先でやった陶芸の絵付けでは、湯のみに「つり人生」と思いっきり書きました。まだ実家にはその湯のみが残っているはずです。
また、もともと本は好きだったのですが、このころから一部ではやりだしたゲームブック(段落ごとに選択肢がついていて、それを選びながら読み進んでいく本)に興味を持ちだし、お小遣い(6年からお小遣い制になった)を貯めてはゲームブックを買い、友達と回し読みしながら楽しんでいました。さらには読むだけでは飽き足らなくなり、自分でゲームブック(のようなもの)を書いてみたり、オリジナルのボードゲームを作って友達に見せたりしていました。ちょうどドラクエが出たころで剣と魔法のファンタジーの世界にあこがれていたのかもしれません。ドラクエの堀井雄二氏にあこがれて、ゲームデザイナーになりたいと思ったりもしました。
結局どれもその後は縁遠くなってしまったのですが・・・。

やがて、まるぴよはまた恋をしました。今度は同じクラスのOさんという女の子です。明るくて、勉強もスポーツもできて、気さくに誰とでも話す子でした。いじめられっ子のまるぴよのことも馬鹿にしたりせず、ちゃんと目を見て話しくれるとてもいい子でした。席替えで席が近くなると、それだけでまるぴよはうれしくなりました。話しかけてもらえると幸せでした。当時はよくOさんと仲良くなるという夢を見たもんです。現実にもけっこう仲良くなって、クラスのほかの男子から冷やかされたりもしましたが、まるぴよにはそれすらも快感でした。まだ付き合うとまではいきませんでしたが、おたがいに少なからず好意を持って接していました。
当時のまるぴよは、なぜかモテ期に入っていたらしく、ほかにも数人の女の子と仲良くなったりもしました。

ただ、これはいじめっ子にとっては気に入らないことだったようで、一時期いじめもひどくなり、ある日は登校したら、いきなり机の配置のことで難癖をつけられて殴られ、朝から鼻血まみれになったりしました。まるぴよはいじめられていることを先生にも親にも決して言いませんでした。そして、どれだけやられても反撃せず絶対に涙を見せず、ただ黙って耐えていました。そうすることしかできなかったからです。反撃すればもっとやられるのは目に見えていましたし、誰かに言っても解決するわけないと思っていました。涙を見せないのはまるぴよなりの意地でした。涙を見せれば負けたことになる。涙を見せなければ負けではない。だから絶対に人前では泣かない。そう固く決意していました。
でも本当は泣きたかったし、誰かに助けて欲しかった。必死で反撃したり、泣いたりすれば、もっと事態は変わっていたかもしれません。だけど、まるぴよはかたくなになって、そのつまらない意地を張り続けました。決して報われることのない意地を。

いつしか時は過ぎ、まるぴよは小学校を卒業する時期になりました。まるぴよのいた小学校では、卒業生それぞれが小学校時代の思い出と将来の夢を書いてまとめた卒業文集を作っていました。卒業が近くなった時期にその原稿を書かされるんですが、そこでまるぴよは気づきました。あんまり思い出ないなあ。もちろん、恋をしたり、ゲームで遊んだり、釣りに行ったりと、それなりのことはしていましたが、どうしてもこれと言える思い出がないのです。どれもが少しは楽しかったりウキウキしたりしたのですが、まるぴよにとって本当に大切な思い出ってなんだろう?と考えるとなにひとつ出てこないのです。まるぴよはちょっと悲しくなりました。
さらに、将来の夢にも困りました。みんなはプロ野球選手とかパイロットとか、お花屋さんとかある意味子供らしい夢を書いています。でも、まるぴよにはそういう夢が浮かびませんでした。釣り人とかゲームデザイナーとか作家とか書けばよかったのかもしれませんが、まるぴよは真剣に考えてしまったのです。まるぴよが本当にしたいことはなに?
考えても考えても答えは見つかりませんでした。締め切りは迫っています。それで、結局「明るい人生」という訳のわからないことを書いた記憶があります。
卒業式のことはあまり覚えていません。ただ、ボロボロになりながら一棟だけ残っていた木造校舎が、いつの間にか取り壊されていたことは記憶にあります。その校舎もいじめられたことやいやな記憶とつながっているので、無くなってちょっとホッとしました。
こうしてまるぴよの小学生時代は幕を下ろしました。

いまでもまだ本当にやりたいことはみつかっていません。これからもずっと探し続けていくのでしょうか?それともどこかでみつかるのでしょうか?まだまるぴよは当時と似たような曖昧模糊とした薄闇の中を歩いています。

まるぴよの人生 中学生編に続く


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