うつ病でgo!タイトル

プロフィール

まるぴよの人生 小学生編(前編)

やがてまるぴよは小学生になりました。
はじめて行った小学校は3つ目の幼稚園と同じ地区にあったのですが、クラスに同じ幼稚園出身の子はほとんどいませんでした。でも、この年代だとわりとすぐに友達ができるもので、クラスも1年2年と持ち上がりだったので、同じ住宅街に住んでいた子たちと仲良くなり、一緒に帰ったり、一緒に遊んだり、それなりに楽しくすごしました。

この頃のエピソードで覚えているのは、生まれて初めてのテストのときのことです。まだ1年生だし、算数のドリルからまったく同じ問題が出題されるという、いま考えれば楽勝のテストなんですが、まるぴよは難しく考えてしまいました。
「テストというくらいだからものすごく難しいに違いない。
 きっと問題も答えも丸暗記しないといけないんだ!」
これは大変だ、なんとかしなけりゃ!そう思ったまるぴよは、答えを小さな紙に書いて机の中に隠しました。そして友達にもそうするよう勧めました。いわゆるカンニングですね
でも、実際にテストがはじまってみると、先生が問題文を黒板に書いてくれるじゃないですか。カンニングペーパーは使う必要もありませんでした。
しかし、問題はテストが終わったあとで起こりました。誰かが「まるぴよたちがカンニングペーパーを作ってた」と先生に言ったのです。先生は当然「じゃあまるぴよ君たちは0点ね」と言ったのですが、一緒にカンニングペーパーを作った友達は「僕はそれを見なかったから」と申し開きをしました。これも当然の対応だと思います。彼は頭が良かったので実際使ってなかったでしょう。でもなぜかまるぴよは同じことが言えなかったのです。気が動転していたのか、人に話すのが苦手だったのかわかりませんが、まるぴよはその当然の対応すらできなかったのです。結局まるぴよだけ0点になりました。そしてなんだか悲しい気持ちだけが残りました。

また、まるぴよはこの頃はじめていじめにあいました。近所のグループで下校中、なんの理由もなく、突然リーダー格の子に「まるぴよ、お前はここで座ってろ」と言われ、素直なまるぴよはそこにしゃがみました。するとみんなはまるぴよを置いて先に帰っていくではないですか。それでもまるぴよは、その命令を守ってそこに座っていました。みんながどんどん離れていきますが、素直なまるぴよは動けません。悲しさとやるせない気持ちがこみ上げてきましたが、まるぴよは泣きませんでした。もうその頃からすでに泣けなかったのかもしれません。
やがて、グループの1人が戻ってきて「まるぴよ、もういいってさ」と伝えてくれました。それでようやくまるぴよは立ち上がることができたのです。なんで命令に逆らったり、無視したりすることができなかったんでしょう?

いまでも似たようなところはあります。人になにか言われると、それを絶対に実行しなければならないと思ってしまうところがあります。絶対に実行しなければならないということは、ものすごくプレッシャーで、無理をしてしまったり、逆にただ断るのではなく過剰に反発してしまってギクシャクしたりします。彼女(妻)に対しても同じです。相手が何か頼んだり、まるぴよにどうしたいのか聞いてくれているときであっても、絶対的な命令をしているんだ、正解の答えを返さないと怒られるんだ、と思ってしまい普通に断るということができません。相手に何か言われた時点でYesもNoもマイナスの結果を生むんだと思い込んでしまっているのです。それがいやで人としゃべるのが苦手です。

このときだったか記憶が定かではないですが、当時、いじめられたあとで母親にそれを話したことがあります。親にもなかなか自分の気持ちを言えなかったまるぴよにとっては、かなり勇気のいる行動だったはずです。なぐさめてくれるのか、解決策を教えてくれるのか、それともいじめた子の家に文句を言いに行くのか、まるぴよは母親に期待していました。しかし、母親の言った言葉はそのどれとも違っていました。
「あっ、いままるぴよが話してるあいだに、ふっとすごくたくさんのことが浮かんだんよね。夢って一瞬で見るっていうけど、こういうことなんかと思ったよ。」
なんと、母親は話をそらしたのです。そして、そのあともいじめの件にはまったく触れず、関係ない話を続けました。まるぴよはもはやあきらめるしかありませんでした。誰に話しても無駄だ。そう思うようになってしまいました。

まるぴよはこの頃、初恋もしました。同じクラスで家も近かったSさんという女の子のことを好きになりました。Sさんは活発で明るく、クラスでも目立つ女の子でした。まるぴよにも分け隔てなく接してくれました。家に帰ってからも一緒に遊んだりして(みんなも一緒でしたが)、おたがいに相手に好意を持つようになりました。
まだ付き合うとかそういう年代ではなかったのですが、一度クラスの席替えのときに、先生に「男子と女子でペアを作ってからくじ引きで決めましょう」と言われ(当時は机を2つ横にくっつけて男子、女子が座るという配置でした)、躊躇する同級生たちを尻目に、まるぴよとSさんは走ってまっすぐに近づき手を握りあいました。事前になんの相談もしていなかったのにおたがい自然にそういう行動に出たのです。とってもうれしくて幸せな気分でいっぱいでした。まるぴよの心が温かくなるエピソードのひとつです。

でも、そんな幸せな日々も長くは続かず、3年生になるときに、まるぴよは関西のとある都市に移り住みました。父親の転勤による引っ越しでした。
3年生のときは、はじめて聞く関西弁にもうまくなじめず、本当にクラスで孤立していました。友達らしい友達は1人もいませんでした。毎日、学校に行き、休み時間になるとウサギ小屋のウサギやニワトリをながめて時間をつぶしていました。家に帰ってからも1人で山(30分くらいいくとすぐ山でした)に出かけて、食べられる野草を図鑑で調べて食べたり、秘密基地を作ったりして遊んでいました。わりと開放的な雰囲気の学校で、いじめられることはなかったのですが、とにかく動物としか接していませんでした。

そういった体験のせいか、当時の(いまでも多少は)まるぴよは、動物を手なずけるのが異常に上手な子供でした。
あるとき、公園で遊んでいたら大きな黒い野良犬がいました。よほどいやな目にあってきたのか、人間を見るとすぐに逃げるような犬でしたが、まるぴよはその犬のそばに半日ずーっといて、ちょっとずつちょっとずつ近づき、ついにはさわれるようになりました。さらに頭をなでてやったり、耳の後ろ(ここはダニがいることが多いので、だいたいの動物がかいてやると喜びます)をかいてやったりして信頼関係を深め、最後に日が暮れて帰らなければならなくなったときには、その犬がまるぴよの後ろをついてくるまでになりました。
まるぴよもその犬が大好きになっていたので、家まで連れて帰り、飼ってくれるよう親に頼みました。でも、当時のまるぴよが住んでいたのは社宅のアパートで、ペットを飼うことは禁止されていました。まるぴよはしつこく頼みましたが、当然親には無理だと言われ、泣く泣くその犬を外に置いたままドアを閉めました。ときどき覗き穴から見ると、外の廊下で伏せてその犬が待っているのが見えます。まるぴよは泣きたくなりました。外に出て行って頭をなでてやりたくてたまりませんでした。でも、親に「いま外に出たら余計な期待をさせてしまうから、かえってかわいそうだ」と言われ、外に出ることは許されませんでした。寝るまで何度も何度も覗きましたが、ずーっとその犬は同じ場所で伏せて、まるぴよの家のドアを見ていました。ものすごく切なくなりました。でも外には出られません。その犬を余計傷つけてしまうから・・・。
次の日の朝、起きたときにはもうその犬はいませんでした。きっとあきらめてどこか新しい場所に移ったんでしょう。あのときの犬が、その後幸せな暮らしをおくれたことを祈ってやみません。どこかで親切な飼い主に拾われて、幸せな余生が過ごせましたように、と。

ここからは余談になりますが、毎年、何万匹もの捨て犬や捨て猫が保健所で処分されています。動物を飼う人は一時の感情ではなく、本当に永遠の愛情をもって接してあげてください。人間の都合で捨てたり、保健所に送ったりしないでください。彼らだって同じ生物なんです。感情もあるし、苦痛も感じるんです。世界中の人たちが、そして動物や植物も含めてすべての生命体が、幸せな一生をおくれることを願います。

こんな体験をしながら、まるぴよは小学校の前半を過ごしました。いまにつながる重要な体験が多かった時期かもしれません。長くなってしまったので、続きはまた後日アップします。

まるぴよの人生 小学生編(後編)に続く


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